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| 定年後、美術館ボランティアをしていた永田米次さんが美術鑑賞の楽しさを語ります。 |
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| 第14回 |
| ≪第16号 1995.1.1発行号より≫ |
「東海道の魅力再発見」この標題は静岡県の広報誌「県民だより」昨年11月号の表紙一面を飾った風景画の中での言葉です。特に関心を寄せたのは風景画で、由比・薩捶峠から見下ろした波静かな由比の海岸線、遠景には霊峰富士の雄大な姿が展開しています。これで思いだしたのが、江戸時代の後期に活躍した有名な浮世絵師「歌川広重」の当時(役物)と高く評価された名品東海道五十三次「由比・薩捶嶺」でした。これで「県民だより」の標題の意味が理解できたような気がしてきました。
江戸時代「街道」と言われた中で特に多くの旅人が往来した東海道は、さまざまな文化や歴史を形づくった街道であったと思います。この東海道五十三次・16番目に当たる宿場「由比」に、平成6年9月、江戸時代の歴史・文化を甦らせたのが、由比本陣公園整備事業です。この事業の中で関心を寄せたのが日本に、いや世界に唯一の「東海道広重美術館」が誕生し、開館したことは、地域の豊かさを示す重要な文化で実に意義深く、江戸時代を偲ぶことが出来る「広重芸術」の数々の作品を鑑賞できる感動は、生涯の思いでとして強く焼きつくことでしょう。
私は、今回幸いにも「広重美術館」の協力員として登録することができました。これは、県立美術館で美術ボランティアとして活動している経験の中で、「広重芸術」の作品解説を担当した経緯からして、その豊かな芸術性にひかれ、魅力を感じたのが参加の動機であります。微力ですが最善を尽くす心境から、ここでこのご縁で今回から暫く「広重芸術」の浮世絵の展開をご紹介することといたします。
まず、始めに「浮世絵」の展開からと思いましたが、考えてみれば広重の浮世絵・東海道五十三次を鑑賞して気が付くことに「街道」の連作物ではないかと思います。この「街道」こそ広重芸術の主体で主役ではないでしょうか。このことからして「街道」を語りその意味から触れることとしましょう。
日本で「街道」と称して整え始められたのは鎌倉時代のようで、そして室町時代ではさらに進み、「街道」が重要視され、人・物の交流が盛んになりました。ここで興味を感じたのは、戦国時代の街道の松並木が戦略的に利用されたことには驚きです。そして、鎌倉時代以前では「街道」に果物の樹が植えられ、旅人はこの恩恵に浴し木陰で休憩しながらの旅は豊かで、現代社会では想像もつかない時代背景は羨ましくも感じました。そして、江戸時代では参勤交代の大名行列等で宿場が整い、「街道」は整備され多くの街道物語が展開してまいりました。それで興味を引くことに、この「街道」こそ「街道美術」として生まれ、日本的風物史の特質として、風景・人情・風俗の連作が展開しているのが「東海道五十三次」で、江戸庶民芸術として愛された原因ではないでしょうか。それでは「浮世絵」について語るには前置きが少し長すぎましたが、次回からは本番の「浮世絵の展開」から進めたいと思います。どの港からの航路から出航したら良いか迷う気がします。不順の点はご容赦願いたいと思います。
では次号で。
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| 第13回 |
| ≪第15号 1994.10.1発行号より≫ |
美術館で展示解説を担当して、何か不安を感じることがしばしばあります。
それは、解説した内容が的確に表現されているかという心配です。過日、この心配を払拭するかのような事例に直面し、安堵しました。その事例とは、美術専門家の解説を拝聴する機会に恵まれたことです。しばし傾聴しているとハッと驚き、しかしホッとした気分になりました。
それは先生が解説された作品とは、ロダンの全作品の中で最も著名な《考える人》の作品でした。ホッとした一瞬とは、先生が解説された内容の一部が、私が過日ロダンの展示解説した一部と全く同じ内容のことを解説されていたということです。
美術とは縁遠い弱輩ですが、ロダン解説勉強会で学んだ過程の中での成果であり、少なからず鑑賞者の心を引きつけることであればと考えて、解説文に取りいれたということです。その内容とは、ロダンは地獄の門から引き離して拡大したこの《考える人》の作品は、大き過ぎる上体の比例を変えられて、より近くからの鑑賞者の為に訂正したと言われています。考える事についてロダンは、「頭脳だけで考えるのではない。全身の筋肉によって、背中によって、その爪立った両足の指によって考えるのだ」と述べています。私は、この偉大なる芸術作品を鑑賞する度に、張りつめた筋肉を見て思い出すのがこの有名なロダンの言葉です。
皆様は何とお考えでしょうか。
ロダンの彫刻の展開については、ロダン館開館以前から短編ながら微力な解説を続けて参りましたが、ロダン館が開館以来盛況に終始している現況からして、今回で終了といたします。
今回最後のテーマは、今秋開催されるロダン館開館記念展第三部、ロダン・大理石彫刻展の中から、日本初公開、白の誘惑(ダナイード)の作品を紹介いたしましょう。
泣いて泣いて、その涙のうちにかすかに息づいている生命の花・・・・というリルケのことばがあります。このことばのように、花びらのように美しい。皆様が最も注目される作品でしょう。(ダナイード)とは、ギリシャ神話で名高いアルゴスの王ダナオスの悲しい物語です。結婚式の当夜、父親の命によって花婿を殺したアルゴスの王ダナオスの娘たちのことです。呪われたダナイードたちは冥府で永遠に穴のあいた水桶で水を汲まねばならない運命を受けて、遂に力つき倒れてしまうという悲しい無残な姿勢です。
ロダンの作品はブロンズ像が多いようですが、ロダンは材質を生かすことで最適であった大理石像の中でもこの作品は群を抜く作例でしょう。女体の柔軟なポーズをこのうえなく鮮やかに生み出しています。絶妙な仕上げは大理石像の中で白眉の力作と思います。巨匠の含蓄を遺憾なく発揮しています。是非ご期待の程ご来館をお薦めいたします。
次回からは、「浮世絵」の展開についてご紹介いたしましょう。それは、去る9月25日由比町に開設された、東海道広重美術館の美術館協力員として参加することとなりました。私なりに広く「浮世絵」について学ぶ機会に恵まれたことによるものです。微力ですが最善を尽くす心境です。お楽しみに。 |
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| 第12回 |
| ≪第14号 1994.7.1発行号より≫ |
四季を通じて季節観が楽しめる彫刻プロムナードは、余暇を活用する最適の候補地と自適しています。周辺には県立大学・県立中央図書館・県立美術館が控えているからです。さらに桜・欅等の樹間から洩れる太陽の光は柔らかく、肌打つ爽やかな微風はメロディーに聞こえ、この一服は静岡ならではの清涼剤のような気がしてなりません。
県立美術館「ロダン館」が開館して早や3ヶ月が過ぎ、県内外から注目された「ロダン館」だけにその人気は高く、胸のときめきを感じながら鑑賞しているお姿を多く見かけている現状です。それはロダンの最高傑作の芸術作品(地獄の門)の前での光景です。
今回の話題は、美術館ボランティア活動の経験から始めることとしましょう。
美術館ボランティア活動(県立美術館)は通常業務として「総合案内」「図書閲覧室業務」「資料整理」等を主体にしていますが、自主的参加活動として私は「展示作品解説」(ギャラリー・トーク)「館外活動」(老人ホームで美術鑑賞の楽しさを紹介する企画)にも参加しています。
今回のテーマは、私が6月11日に担当した作品解説(ギャラリートーク)「ロダン館と地獄の門」についてをご紹介しましょう。
ロダン館は3月23日開館以来その人気は高く、順調な入館者が続いている現状をまずお知らせしました。ロダン館での作品解説は初めての経験でしたが、50名近い参加者に驚き、天井の高い館内では音声に気を配りながらの解説で、制限時間20分で終了した時は緊張感から開放された一瞬、光る汗が流れていることに気付いたことを覚えています。
解説はロダン館の紹介から始めました。ロダン館は近代彫刻史上の記念的大作、地獄の門を中心としたロダンの彫刻作品を常設展示する美術館で、世界でも稀なる独自の設計で建設されていることを説明しました。そして、独自の設計とは屋根に仕掛けがあります。つまり、強化硬質ガラスで出来たトップライトになっています。2枚の間にティッシュ状に編んだガラス繊維が入っているのです。このきめ細かい工夫によって柔らかな自然の光が天井から降りそそいでくる仕掛けです。明るい陽光は彫刻に優しく大気汚染から免れたロダンの作品は世界の美術館の中で最も美しい肌合いを保っていることを自慢しました。
次の特徴は、段差のあるスキップフロアを設けたことで、さまざまな角度と高さから鑑賞することが可能なロダン館はまさに世界に誇ることのできる彫刻館であることを説明しました。特に、門のテインパヌム内で地獄を彷徨う人々に想いを寄せる詩人ダンテを象徴する像(考える人)の背後まで克明に鑑賞できることは、他の美術館では味わうことはできません。続いての解説は、入館者が最も期待する作品「地獄の門」ですが、[百聞は一見に如かず]の如く館内で最も賑わうコーナーです。
ここでは、門の制作を依頼された経過から話し、門の構想はロダンが心服していたダンテの神曲物語(地獄篇)の詩篇から始まり、その構図はフィレンツェの礼拝堂の扉に順応して対照的な図柄を考えましたが、次第に自由な構図になり、統一的から流動的になりました。
次回は、門に挿入されている像の代表的作品の物語の展開をご紹介しましょう。
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| 第11回 |
| 開館を待つロダン館 ≪第13号 1994.4.1発行号より≫ |
彫刻プロムナードの樹木が厳しかった寒さから漸く開放され、霜柱が目立った木陰の隅からは早春の花々が顔を出し始めた春の装いを整えつつあるように感じられます。この美しい花々に祝福されるかのように、待望の「ロダン館」(愛称はロダン・ウイング)が3月23日に開館となりました。世界に誇ることのできる美術館だけに、その感動は格別と思います。この「ロダン館」については、予告篇として既に本紙エル10・11・12号でお知らせしましたので、今回は全く違う見地からの美術の話題を進めましょう。
美術館で作品解説を担当するようになってから早や8年。出番が多くなるにつれ、必要な美術図書の新しい情報を期待し、行き着けの書店へ定期的に運ぶ足も軽く楽しみな今日この頃です。情報遅れの感がしますが、最近全く気付かなかった非常に興味を感じた本を手にすることができました。それは以外「脳の中の美術館」(筑摩書房・著者・布施英利・東大医学部助手)でした。総て解読した訳ではないが、ヒトが「見る」とは何かと問いかけているようであった。本文の中で、ヒトの脳は誰のものも、みな同じなのだ。だから僕たちは美術館に「他人の作品」を見に行くのではない。「自分の脳の中身」を見に行くのだ。「自分の可能性」を味わいに行くのだ。今まで忘れていた「自分自身」を見つけに行くのである。美術館はどこに在るか?自分の脳の中に、である。
この文章だけでも今までの自分はどうであったか恥ずかしい限りであった。「見る」ということについて新しい発見であり、「試験場」の中にいるように思い、遅ればせながら解答を提出する時間のように感じた。できれば合格点に近いものにと課題を背負いつつ読み続けている現状です。今までにない新しい自分を見つける為に、非常に参考になった図書でした。ご参考になればと思い感想をご紹介しました。
それでは終わりに「ロダン」について少し述べることとします。常に「ロダンの偉大な彫刻作品」を鑑賞して不思議に思うことはありませんか、それは躍動している筋肉の凹凸の状態と思います。この意味について「ロダン」は次のように語っています。「芸術家は俗人のように自然を見ない。何故なら芸術家の感情は外観の下にある内面の真実をとらえるからだ」と述べています。これが「ロダン芸術」の真髄のような気がしてなりません。
「ロダン館」で注目される「地獄の門」には数えきれない程の人間が、さまざまな姿体で苦しみあえいでいます。その数186人といわれ、まさに痛ましい人間苦の絵巻ではないかと感じます。この驚きの眼から一転すると、関連作品が次々と展開しています。そして1階の展示室には、ロダンの素描や作品写真,19世紀の彫刻、ブロンズの鋳造過程をわかりやすく解説したコーナーもあり、興味津々見逃せない展示室ばかりです。是非ご鑑賞をお薦めいたします。今回は私の「見る」ことについて新しい発見をご紹介いたしました。次回は作品の幾つかをご紹介しましょう。
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| 第10回 |
| 開館を待つロダン館 ≪第12号 1994.1.1発行号より≫ |
1994年新春、県立美術館は芸術文化誕生という輝かしい歴史の一歩、意義ある新年を迎えたと思います。それは、1991年6月に発表になった「ロダン分館概要固まる県立美術館」と報道されてから早や3年、桜の開花を待つ3月23日に開館することになっています。新しい名称は「県立美術館ロダン館」と発表になりました。この「ロダン館」はロダンの作品を一堂に展示する館で、規模からして東洋一を誇るモダンな建築構造と鑑賞するだけでなく「ロダン研究の拠点」としての役割も担っているようです。
では、建物と内部構造をご紹介します。まず建物は楕円形で曲線を基調としたモダンな姿で、既設の本館と一体感をもっています。位置は美術館本館正面左奥に当たり本館2階展示室から通路で結んでいます。一部2階建てで総床面積は3000uに及ぶ広さです。
私が特に興味を感じたことは「近似楕円モダンな姿」と発表になった建築構想でした。この状況を把握するため、建築構造の底辺基礎工事から進む状況をカメラに収め記録したことです。今では見ることの出来ない中間工事の様子を懐かしく思い出します。 |
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| 第9回 |
| ≪第11号 1993.10.1発行号より≫ |
「地獄の門」の続編として話題を進めましょう。東洋一を誇る「ロダン分館」仮称の建物の工事が順調に進むにつれ、「地獄の門」に対する関心は日を追って高まるばかりです.
今回は、「地獄の門」の建築的構造から見た彫刻の展開を説明しましょう。
高さ6メートル、幅2メートル半におよぶ雄大な框をもって門を構え、上段中央部に有名な「考える人」(一般的には詩人ダンテを象徴していると見ています)は唯一腰掛けているのが特徴です。右手の甲の上で顎をささえ瞑想しつつ、眼下の地獄をさまよう人々に思いを寄せている姿です。彫刻の展開はこの「考える人」に向かって門の両側の付け柱の中から展開し、苦悩している人達は絶望しながら上へ上へと昇っている姿が見られます説明の主題は、「地獄の門」の最上部に建つ彫刻「三つの影」です。ロダンは独立した作品を組み合わせることによって全く新しい群像を生み出しています。「三つの影」は「アダム」の兄弟で、彼らは地獄の門の上に立ってその手をのばし、ダンテの神曲にでてくる、その門に刻みつけられた有名な言葉を指しています。ダンテは地獄の門の入り口に来たとき門の上に永遠の言葉を見た。それは、「神曲」地獄篇第三歌で次のように刻まれていた
われを通る者は苦悩の市にいたる
われを通る者は絶望の民のもとにいたる
われを入る者は一切の希望を捨てよ
等の9項目でした。
今回の主題「アダム」は1875年、イタリアから帰国したロダンは、ミケランジェロに大きな影響を受けての制作と言われています。「青銅こそロダンであり、ロダンの魂だった」とブールデルの言葉を思いだし、この「地獄の門」は、英雄的な創造的なすべてのロダンだと思います。 |
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| 第8回 |
| ≪第10号 1993.4.1発行号より≫ |
彫刻のご案内今回は、彫刻プロムナードの中で丁度中間地点の作品「蝶」になりますが少し休憩し、最近美術館で話題になり関心が高まりつつある「地獄の門」について予告編らしく話題を進めてみたいと思います。
まず始めに、話題の「地獄の門」を始めとする偉大なる芸術作品を展示する建物「ロダン分館」仮称の建設工事は順調に進み、基礎部分は既に終わり外観部分が顔を出しその全貌が窺えるようになって来ました。東洋一と誇れる建物だけに楽しみです。「地獄の門」は既に収蔵室で休憩し、一般公開は来年春と予定されています。私はここ「ライファ」に新しい文化の黎明と期待し、芸術文化の発信基地になることと確信しています。
この「地獄の門」は1880年フランス国家が装飾美術館の門扉の制作をロダンに依頼した事が始まりで、かねてから心服していたダンテの「神曲」「地獄篇」の有名な第一歌「人の世のみち半ばにして・・」から構想した大作と言われています。高さ6米近く登場人物は183の浮彫連作で、門の頂上に建つ(3つの影)のすぐ下に世界で最も知られている「考える人」が存在しています。ロダンは私達鑑賞者の目線に合わせた工夫された彫刻と言われているからまさに驚きです。1880年〜1917年までじつに37年間にわたって全力を傾けた記念碑的最高の芸術作品と言われています。この続きは次回を楽しみにして下さい。なお写真は建物工事、中間基礎部分です。
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