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スイスだより
趣味の山歩きを兼ねて長女が嫁いだスイスを頻繁に訪れた近藤美佐子さん(元中学校教諭)による教育と紀行のエッセーです。教員の方に人気です。
スイスだより 本のご紹介
「スイスだより」
近藤美佐子著  出版:羽衣出版
1500円(税込)
2006年10月発売

羽衣出版のページより本をお買い求めできます。
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第14回
14 ことばは生きている (第29号 1998.4.1発行号より)

 前回、日本の学校教育における外国語の指導に触れましたが、その後、もう一度日本の現状を考えてみました。文部省の指導要領に基づいた外国語科の指導は、一般的には外国語(英語)と考えられています。
  一部私立の学校でフランス語等を扱っていると聞いていますが、公立中学校では英語以外の外国語は指導していません。
  第二次世界大戦終了と同時に、日本が米国に占領され、世の中がアメリカナイズされた歴史的な経緯を考えれば、「アメリカ」一辺倒だったこともうなずけます。
  然し、私共はあまりに「アメリカ」志向でした。ほとんどの日本人は戦後の混乱の中で、明るく豊かな生活をエンジョイする米国式の暮らしぶりに目を奪われていたのは確かでした。
  アメリカがお手本で、それに追いつけ、追い越せで、気が付いたら五十余年が経っていたのです。果たしてそれでよかったのでしょうか。
  思えば六三制の教育制度は、全国津々浦々にまで徹底し、戦後の特色としての中学校のあり方に現場の教師達は悩みながら、望ましい方向を模索し続けて現在に至っているのです。昨今、目に余る凶悪犯罪が相次ぐことを思うと教育の重要性を改めて痛感させられます。
  さて、日本とは全く対照的なスイスの言語事情についてご紹介しましょう。まず地理的にはヨーロッパのほぼ中央にあって、多くの国々と地続きになっていることは、島国日本と大いに異なるところです。
  この位置はまず国情を左右します。日本はよく単一国家と言われ、世界に類のない独特の様相をしています。このことは、日本に暮らしていると気付かないのですが、外から眺めるとその特異さがよく分かります。そのひとつが、「ことば」です。
  日本全国一律に「日本語」が話され、地方毎に方言や言い方にいくらかの差はあるにしても、この頃はテレビの普及で若い人達はかなり標準語を使うようになりました。
  一方スイスでは、ドイツ語73・5%、フランス語20・1%、イタリア語4・5%、レート・ロマンシュ語1%が話され、独・仏・伊の3ヶ国語が公用語になっています。
  ですからドイツに近いチューリッヒ周辺はドイツ語圏というように、隣接する国の言語が用いられますが、ひとつの町の中で複数のことばが話されるのも珍しくありません。
  レート・ロマンシュ語は僅かに全体の1%位にすぎませんが、スイス東南部では話し言葉として十分に通用しています。昨年この地方に出かけてみて、意味は理解できませんが言葉が生きていることを実感しました。
  面白いことにこの4言語の中に「英語」が含まれていないのです。スイスの人によると「英語はヨーロッパ大陸では使われない」でした。
  なるほど英国は大陸から離れた島国です。なんとなくEC問題でも話題の多いイギリス事情に触れた思いでした。
  私達は世界のどこでも英語が通じると思っていますが、英語が通用しない国は多く、私も以前意志の疎通がうまくいかないもどかしさを体験したことがありました。
  スイスの高校教育における学業成績のランク付けは1〜6で6が最高です。高校の最終成績では12科目中、ドイツ語、フランス語、数学の3科目が最も重視され、この3教科は2倍に加算されますから学生は真剣にならざるを得ません。
  選択した残り9科目との合計で48点以上取得出来ないと、大学進学は不可能です。大学進学率は約3%で、卒業はかなり難しいと聞いています。大学では、英語、イタリア語、スペイン語など2ヶ国語以上の履修を義務付けられます。
  このことから、いかに語学力が重視されているかが容易に理解できますが、一般の人々もごく日常的に外国語に触れます。コーヒーはKaffee・Cafe・Caffe。牛乳の容器には1gを示すLiter・litre・litroのようにドイツ語、フランス語、イタリア語の順に印刷されていて、少し気を付ければ、その場で学習できますから、人々はごく自然に2〜3ヶ国語が容易に覚えられるのです。
  多くの国々に囲まれたスイスの生き残り作戦として当然「言葉」は最重要課題で、外交や商取り引きで通訳に頼る必要もなく、自分の意志が相手に正しく伝えられ、堂々と世界の人々と渡り合える人材を育てる、ボーダレスのスイスらしい意図的な配慮はここにも生きていました。
  日本も島国とはいえ、もう自国だけでは生きていけません。国際化時代に適応した実際的なことばの指導と研究、そして教育のあり方の抜本的な改善が急がれると思います。その場合に、正しい母国語(日本語)が使えること、英語は常識として身につけること、加えてその他1〜2の外国語が話せることを基本にしたいと思います。
  もうアメリカだけに目を向けるのではなく、グローバルな視野で、世界、いや地球全体をよく見渡し胸を張って主張すべきは主張する若者達が育つことを願って、声援を送りたいと思います。
・・・次回へ続く・・

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第13回
13 いつ消える日本語 (第28号 1998.1.1発行号より)

 3才児の舞也が両親と離れ、日本の私宅に滞在して幼稚園生活を送ったのは4月9日から6月20日までの2ヶ月余りでした。その間、一度も園をいやがったり、スイスに帰りたいとだだをこねたり、父母に逢いたいなどとは口に出しませんでした。
  両親からの電話にも2ヶ月間は決して出ませんし、帰国間際になってやっと、「もしもし、マヤです。おじいちゃん、おばあちゃんとスイスに帰るよ」と言った程度でした。3才児が両親と離れて、2ヶ月余を全然違った環境の中で知らない先生や友人達に囲まれて、しかも四六時中日本語という未知の言葉の中で暮らすことは容易なことではなかったはずです。
  幼稚園は大のお気に入りで、十分に楽しんでその目的を果たし、元気に帰国できたことを家族全員が喜び、安堵したものでした。
  さて、挨拶程度で殆どしゃべれなかった日本語が、誰の助けも借りず全て事足りるまでに上達したことは、大人から見れば驚異でした。
  よく日本の英語教育が話題になり、時には政治問題にまで発展しそうな昨今、これはひとつの参考になる事柄だと痛感しました。
  日本の学校教育における英語科指導は文部省の指導要領に基づいて行われます。普通、日本で教育を受け日本人から英語を学んだ教師が日本の子供達に教える。これが英語力、特に話しことばの学習にはマイナスだと思います。
  少なくとも言語の学習には、当該の国に生まれ育った、いわゆるネイティブ・スピーカーから直接指導を受けるベきで、その言葉のバックグラウンドを理解していてこそ、はじめて言葉は生きて働くからです。
  英語圏には全く関係がないばかりか、滞在したこともない人が言語学習の基礎力をつけるべき中学3年間に日本語的発想で指導したのでは、殆ど通用しないジャパニーズ・イングリッシュだと陰口をたたかれてもやむを得ないのです。
  勿論、受験戦争への弊害は言うに及ばず、現場の苦労の割には効果が上がらない事にも問題があるのです。読み書きの学力についてはそれ相応の効果はあるのに、受験科目からはずすなどと性急な結論を出すよりは、国際化の時代に合ったやり方に改善すべきだと私は考えています。
  私共が舞也を連れ帰ってから、彼女は私共や母親には日本語を使い、幼稚園のことを話題にし、習った唱歌を口ずさみ、遊戯も披露したけれど、日毎にそれは少なくなり、2、3週間を過ぎた頃からは、私共が幼稚園の歌を歌ったり、舞也に歌うように促しても決して口にしなくなりました。
  それどころか両親とは独語で話し、私達には日本語で話すという2ヶ国語を使い分けるようになったのです。しかも、母親と私共が日本語で話しているのを聞いていて、すかさず父親に通訳したのには驚きました。「パピー。今ね、マミーとおじいちゃん、おばあちゃんは日本の動物園のことを話したんだよ」。
  喜んだのは父親で、これからは舞也に日本語を教わるんだと言い、早速「マヤちゃん、Hundのことは日本語で何というの?」「いぬ」のようにいくつか聞いては楽しんでいました。
  ある時、ドライブに出かけて湖の近くを走っていた時に父親は湖面を指さして、「マヤ、これはネズミ」と叫びました。皆はキョトンとしたけれど、舞也は「パピー、これはミズウミだよ」と訂正したのには、これまた大人達が舌を巻きました。父親は動物のネズミは知っているけれど、それに近い音を覚えていたらしく、「ウ」音を落としネとミを間違えた訳でした。いやはや子供の音感とその敏感さには脱帽でした。
  私達の45日間の滞在中、だんだんドイツ語が多くなり、ベビーシッターによるとひとり遊びの折には、日本語の歌を口ずさんだり、日本語でお人形に話しかけたりしても、彼女や友人達には決して日本語は使わないで、いつでも以前のようにドイツ語でしゃべっているとのことでした。
  母親には日本語が通じるので、全く日本語が消えることはないとしても、自分から進んで話す頻度は徐々に少なくなり、もとのドイツ語の生活にもどるのも近いと思われました。
  しかし、いつの日か日本語に触れた時には、また音声としての記憶はよみがえるだろうと予想しています。そして私共が帰国した後、いつ日本語が消えるのか、また、どんな場面で日本語がよみがえるのか知りたいと思います。孫は私達に楽しい思い出をいっぱい作ってくれました。ありがとう、舞也ちゃん。
・・・次回へ続く・・

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第12回
12 ドイツ語が消えた (第27号 1997.10.1発行号より)

 「もしもし、マヤです。げんき? バイバイ」
  電話でこの程度の日本語を使っていた孫娘の舞也は、3才前後に日本での日本語学習と日本の同年令の子供の中での幼児教育が必要だという両親の考えで、静岡の幼稚園に留学ならぬ留園することになりました。父親はスイス人。母親は私の娘で日本人。スイスで生まれ、すべてドイツ語で育てられた2才11ヶ月になったばかりの孫は、静岡バプテスト幼稚園に入園しました。
  初日から全く自然に通園し、一日も休まずに2ヶ月と2週間を過ごしました。来日した3月末には両親とドイツ語で話していましたが、私には「これは何?」という場合、Was ist das? とドイツ語で聞いていたのが、Was?からDas?と文から単語に変わりました。
  これが2週間して両親が帰ってからは、「これ何?」「何これ?」へと変化しました。そして、ひとつのことを聞くのに指をさして、「これ何?」と質問し、例えば「うさぎ」と答えれば、それをおおむ返しに「うさぎ」と反復します。
  また「いいお天気だね」と空を見上げれば、「いいお天気だね」と空を眺めながら同じイントネーションで真似をする。いわゆる体を使って覚えるジェスチャーつきのドリルでした。
  「これ何?」はひんぱんで、ひとつひとつについてよく聞いて、すぐそれを使う。例えば、前述の「お天気」という言葉を覚えると晴天の日の朝は、空をみて「お天気がいいね」とか、「きょうはお天気がいいからお散歩に行こう」と言うし、曇や雨なら「お天気はよくないね」と否定文になり、さらに「雨が降っているから、お外で遊べないね」に発展する。また「きょうは雨だから、おもちゃが濡れるから、おじさんが片付けちゃってないの」と理由をつけて言えるようになりました。この発想は、マーケットのおもちゃコーナーが気に入ってよく買ったので、雨の日には片付けて売っていないと話したことを覚えていて使ったもので、「片付ける」は園での遊具の「お片付け」の歌でよく知っていたのです。
  マーケットでは、飴を買うのが彼女の楽しみのひとつにもなっていました。その飴を口にしたその時、「飴」と「雨」のトーンの違いを比べて、それぞれのピッチの違いを聞かせたら、意外にも聞き分けがよく、すぐ区別して発声し、何度も面白がって繰り返しました。
  続いて「橋」と「箸」も同様で、ある時、橋を渡っていた時に使ったら、持っていた箸にはおをつけて「お箸」と言ったので問題なく区別出来たのは愉快でした。勿論、「端」即ちへり、ふち、のはしは難しいので取り上げませんでした。
  ある晩、舞也が昼寝の後の寝覚めが悪く少々いらいらしていたので、背負って庭に出ました。美しい満月の宵でした。
  「おばあちゃん、あれなーに?」指さしたのは大きなお月さま。「お月さまだよ」「きれいだね」「舞也ちゃん、お月さま大好き。ずっと見ていようね」「おばあちゃん、お月さま欲しいよう。ねえ、お月さま取ってよ」これには閉口しました。
  いつか、月をねだる川柳を読んだことがあったけれど、我が孫に言われようとは。スイスでも月を見ているはずなのに、大きく輝いていたこの夜の月は特に印象深いようでした。
  彼女は感受性が強く、ささいな事、例えば小さな虫や草花にも目を向けて、自分の感情を表現するしぐさは愛らしいものです。この気持ちは大切にしてあげたいと思いました。
  このようにして、3才児はほとんど知らなかった日本語を、幼稚園での遊びの中で、友達のしている事をじっと観察して真似ることと、それを反復し場面に応じて応用し、積極的に使うことで身につけていったようでした。
  日本ではドイツ語はいっさい通用しないと身をもって悟ったのか。日常での会話には全く不自由なく日本語を使い、ドイツ語はひと言も出ませんでした。ドイツ語が消えたのです。気がついたら両親が帰国してから2週間が過ぎていました。
  生活環境、習慣は勿論のこと、先生方や新しい友人たちとの園での生活など、初めてとび込んだ異国での暮らしの中で、よくぞ頑張ったと感心し、70余日間に一度も「スイスに帰りたい」とか「マミー」などと言って困らせたこともなかったことを思うと、子供心にも我慢していたのかと察しました。
  後に、ビデオの中で彼女がいかに真剣に、集中した生活を送ったかを知った両親は感激し、この留園の大成功を喜び合っていました。
・・・次回へ続く・・

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第11回
11 和して同ぜず (第26号 1997.7.1発行号より)

 皆さんは食事などの注文をする場合に、誰かが「ラーメン」と言うと他の人達もみんな右へ倣えで「ラーメン」、という場面を経験したことはありませんか。
  20年位昔のこと、アメリカのある田舎の飛行場の軽食スタンドで、朝食に卵を注文した私は「どんな調理法にしますか」と聞かれたのには驚きました。
  日本でこういう場合、ゆで卵ぐらいなのに、とうれしくなって「スクランブルド・エッグ」と答えたものでした。レストランでステーキを頼むと必ず焼き具合を聞かれるのはもう常識になっていますが。
  調味してから供する日本式料理法に対して、西洋式では食べる人が自分で塩なり胡椒なりをかけて自分の好みの味にして食べます。自分の食べたい物を食べたい状態で給仕されるのは当たり前のことですから調理法を問うのは当然のことです。
  中国の孔子の言葉に「小人は同じて和せず、大人は和して同ぜず」とあります。
  私達は何事につけても自分の本音はなかなか語らないで「赤信号、皆で渡れば怖くない」の心境で、良きにつけ悪しきにつけ、みんなと一緒の団体行動に馴らされています。ですから皆と違う考え方や立場はとりにくいという国民性が根強いのも確かです。
  ある時、娘と彼女のスイス人の夫が北海道旅行をする宿を決めるのであれこれ話し合っていました。三日三晩、資料を操ってはわいわい言っていましたが、よく聞いてみると日本の宿泊料は高いというのです。
  「気に入った宿なら少々高くてもそれ相応の対応があって楽しめるから、久し振りの温泉宿もいいではないか」という娘。
  然し彼は一泊が3万円もする宿はスイスでは考えられない高値だと言う。彼女が「私が支払うから代金のことは妥協しよう」と言うと、「誰が払うのかは問題ではなく、もっと手ごろの宿はないものか」と喧々囂々の議論が続いたのです。囲りで聞いているとまるで喧嘩のように聞こえますが、これが彼等の本音の意見交換なのです。
  喧嘩でも何でもなく自分の言い分をはっきり述べて納得するまでお互いの意見をたたかわせる。日本人なら「ああ、もういいわ」とどちらかが折れるか、同じてしまい、後で「あれやこれや」と文句や不満が出て、決して和せずとなって燻り易いのです。
  然し、彼等はとことん調べあげて最終的に2人が納得できる内容と宿泊料の、家庭的な日本の宿を見つけて予約したのです。結果は上々で、先方の親切と心暖まるサービス、適正な価格に大満足して五泊六日の旅を大いに楽しんだとのことでした。
  彼は典型的なヨーロッパ人ですから、何事にも「自分」の意見をはっきり打ち出します。誰とも快く付き合いますが、どんな場面でも決していい加減に事を運ばない「和して同ぜず」が生きています。
  娘はこういう西欧式のやりとりに初めは戸惑ったようですが、そこには理路整然とした考えが過去の経験に裏打ちされ、先の見通しに基づいて組立てられているのに次第に共感したようでした。
  この論法は欧米で暮らす場合に全ての場で要求されますから、いつも「自分」を確かなものにしておかなければなりません。この方式に慣れると日本式がいかに非合理的で感情的になりやすいものかが分かるようになります。。
  表面はいかにも仲良くみんな平等を謳っても中身はいつもちぐはぐで不満を残すことか。そして適当なあきらめと我慢でしめくくられる連続であることか。彼等のとことんこだわった旅はどれだけ楽しく、印象深いものであったかは、後のお礼状に十分表れていました。
  私達は争いを嫌う民族で「まあまあ」とか「しょうがない」という言葉に覆われて事なきように過ぎてきましたが、改めて「和して同ぜず」を思い知らされたものでした。
・・・次回へ続く・・

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第10回
10 自主自律 (第25号 1997.4.1発行号より)

 「静岡、静岡、静岡。お降りの方はお忘れ物のないようにご注意ください。お乗りになる方は、降りる方が終わってからお乗りください」列車が着くたびに何回となく繰り返されるこの種のアナウンスに慣れてしまっていませんか。
  外国から帰った時に「あー、日本に帰ったな」と実感するのは、成田空港での放送です。「カートご利用の方はカートを所定の位置まで戻してください」という執拗なアナウンス(注: cartは荷馬車、hard-cartは手押し車。この場合は荷物を運ぶ手押し車を通常カートと呼ぶ)に、思わず「うるさいな」と呟いたものでした。
  世界各国の空港には荷物を運ぶこの種のカートは常備されていますが、カートについての指示は聞いたことがありません。
  スイスのチューリッヒ、クローテン空港は地下に鉄道が乗り入れられていて、市街地へ出るのに大変便利です。
  入国手続きが済み、自分のフライト・ナンバーが示してあるターン・テーブルで荷物を受け取ると、手押し車に乗せ入国通関を済ませて、エレベーターかエスカレーターで地下に降りると、そのまま鉄道のプラットホームに出られるようになっています。
  この際、備えつけの手押し車には、エスカレーターに簡単に噛み合う歯車が付いているので、何の心配もなく重いスーツケースも楽々と運べます。最初の頃、私は上りの場合は押しぎみにして心配ないのですが、下る時は車だけ滑ってしまわないかと力いっぱい押さえたものでした。
  囲りをよく見ると、人々はプラットホームで列車に荷物を積み込めば、カートはその場に置いたままです。空港内のレストランでも荷物を持って入ってもカートは入口に放置したままでした。
  必要な時に必要な場所で使って、終わればそのままにして置くと、どこからともなく係が走って来てさっさと片付けたり、何台かを一度に押して置場に移動していました。なるほど、これがサービスというものかと改めて知らされました。
  勿論カートに限らず他の放送も一切ありません。それどころか「放送」いや、公共の場での「音」の公害に彼等はとても敏感ですから無駄な音は出さないのです。ましてや乗降客にあれやこれや繰り返し指示するのは必要のないことです。
  旅をする場合、私達は、自分の行先や交通手段、日程等を各自で調べて決め、自分の判断で行動します。また、自分のわがままを抑えて他人に迷惑がかからないように行動しなければなりません。これこそ自主自律です。
  スイスでは、列車は何の合図もなく時間になるとすーっと動き出します。日本のJR同様に世界的にも珍しい時間厳守の国のひとつです。駅名の放送もしませんので、駅名も気をつけていないと見落とします。
  然し、このことはスイスだけでなくヨーロッパの国々ではよくあることです。列車内では次の駅のアナウンスが一回入るか、検札の時に「次の駅で降りますね」とか「○○へは次の駅で乗り換えですよ」などと外国人と見ると親切に教えてくれますが、出発時に駅構内の電光掲示板で行先と発車時刻を忘れずに確認しておく癖をつけることが旅のポイントです。
  欧米では個人主義が徹底していますから、決して他人の内面に入り込んだり干渉したりはしません。その分、自分のことは自分で考え自分で納得して行動に移さないと誰も手助けはしてくれないのです。いわゆる他律は許されない社会ですから、自分の目と耳と頭を十分に働かせて足でしっかり歩くことが要求されますし、日本式の「甘え」は通用しません。
  スイスの静かな湖畔で寛いでいた人が、ラジカセで賑やかな音楽をかけていた日本の若者に近づいて、「済みませんが、人には静かな時間を楽しむ権利もあることをお忘れなく」と言った話のように、一方では相手を思いやる気持ちの大切さも教えてくれています。
・・・次回へ続く・・

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第9回
9 実質的だ (第24号 1997.1.1発行号より)

 前回のレポートでスイスアルプスを中心とした観光産業について述べましたが、こういう総合的な国家的事業のためにはかなり基本的な土台作りがあるだろうと以前から関心を持っていました。そのひとつが教育です。
  スイスの教育システムは日本と同様に六三三制ですが、実際に即した変化のある制度で、責任は地方自治体にありますが、初等教育の義務制と公立学校の学費の無料は全国共通です。
  子供達は12才で進学コースと職業コースのいずれかに進路が分けられます。ホワイトカラーを養成する総合大学は全国に7校、工科と商科の大学が1校ずつで、技術を身につける職業コースに進む生徒が圧倒的に多いのです。
  技術修得には幾つかの認定を経て優秀と認められればマイスターの称号が与えられ、親方とか師匠として経済的にも恵まれて、大学卒業と同等の値打ちがあり当然人々からも尊敬されます。
  日本のように学歴で人をはかるのではなくその人の実力がものを言うのですから職人はその仕事に誇りを持ち、常に自分の作品へ存分に情熱を傾けます。
  スイスの山道や村で出会う雪焼けの赤ら顔で肉付きのよいお年寄りの、自信に満ちた笑顔のなんと良いことか、大きな手とその節くれだった指が長い間いい仕事をしてきたことを物語っています。
  例えば手仕事のひとつに木彫がありますが、スイス中央部ブリエンツゼーのほとりのブリエンツは木彫細工の町で、木造の家、製材所や作業用アトリエなど、町全体が「木」の町です。
  ここには職業学校で木工科を持つ木彫技能学校があって、スイス中から集まった学生25人を4年間指導しています。彼等は土産物の木彫りではなく家具や建物の木彫内装をみっちり勉強します。
  またブリエンツ鉄道駅からバスで10分の所にスイス各地から解体移築した古い民家や農家が80軒位点在するバーレンベルク野外博物館があって、カントン毎に特色のある建築と、そこの特産品を実演即売しています。
  私はここの雰囲気が好きでよく出掛けましたが、村の人達は、みんな洗濯してアイロンのよくきいたこざっぱりした服装をしていて、世間の流行などには無頓着のようにさえ見えました。
  この洗濯でびっくりしたのは、私の持参した日本製の下着類は彼等の使うドイツ製の高性能の洗濯機では痛んだり破れたりすることでした。洗濯機は使い勝手が分かりにくいのですが、使用する水温が90度まであり電圧220ボルト50ヘルツで十分に撹拌して洗うのでとてもきれいに仕上がります。
  下着やシャツ類の布地がソフトでなく、かなりしっかりしていて縫製も丁寧ですから、熱湯にも耐えられるのだと納得しました。よく子供の衣類には黄ばみやしみがありますが、布目の中まで洗剤が作用するらしく真白に仕上がっていました。
  この真っ白いということでもうひとつ思い出すのは皿洗い機です。私は食後の洗い物は手で丁寧に洗うのが好きですが、ある時、手で洗った物と機械で洗った物を並べてどちらの仕上がりが白いかと問われてこれまたびっくりしました。
  食器の種類や形の多様な日本ではそれに合う有能な機械がないことや、器が傷つきやすいことから、日本人の気性としては、ひとつひとつをきちんと手で洗いたいという願望があるのも確かです。
  洗う時間を節約して有効に利用した方がよいという彼等とは発想が違うのです。とにかくきれい好きのこの国の人達は効率的で体に優しい方法をよく研究し、それにこだわりを持っていますから、簡単な思い付きで衝動買いをしたり、宣伝に惑わされたり、他人の言動に左右されたりしないのは事実です。いつでも冷静に考えて実質的であることを願っているのです。
  よくスイス人のことを「実のならない木は庭に植えない」と悪口を言いますが、これは確かに言い得て妙だと思います。
・・・次回へ続く・・

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第8回
8 自然を守る (第23号 1996.10.1発行号より)

 旅に出て女性がいちばん気がかりなのはトイレ。毎日快適なライファ弥生の洋式トイレを使っている身にとっては、外国での便座のひやっとする代物には閉口します。今回は初めにそのトイレに関わるお話をいたしましょう。
  犬養道子さんはその著書『私のスイス』の中で「ぶらりと寄った宿の清潔なベッドや真っ白いタオルがほのぼのと楽しく嬉しかった」と書いています。
  また『スイス・アルプスひとり歩き術』の著者・池田光雅さんは、この本の中で「標高3000m余りの展望台から谷底の近代的な処理場まで延々と下水管が続き、下水管の敷設しにくい遠隔地ではそれを現地で簡易処理して一時溜めてから必要に応じてヘリコプターを使って処理場まで運びます。勿論水洗化による洗浄水も氷河や万年雪の利用の出来ない地点では下からポンプであげているのです」と、山岳地帯での汚水への配慮を惜しまない徹底ぶりを詳しくレポートしています。
  スイスの旅で決して裏切られないのは、トイレの清潔なこと、寝具のきれいなこと、部屋の設備がシンプルで心地よい上に、客人に対する対応が優しいことです。
  日本の人達は山を神聖な場所と考えますが、ヨーロッパの人々はアルプスには悪魔や龍が住んでいると恐れて長い間近づこうとはしませんでした。それでもスイスの自然の素晴らしさに憧れて冒険好きの英国人をはじめ欧州各国の人達が競ってスイスアルプスを目指したのは18世紀後半でした。
  1865年7月14日、ついに前人未踏のマッターホルンをイギリスの登山家ウインパーの一行が初登頂に成功しました。けれどもこの喜びも束の間、下山途中で登山隊7名のうちの4名が転落死という悲劇で終わりを告げたのでした。
  しかし、この画期的な快挙の後にはやっかい者だった雪と氷の山々が産業として成り立つようになり、19世紀後半には鉄道も発達して旅行が大衆化されました。これに伴って山案内の仕事は勿論、レストランやホテルをはじめ交通、通信、治安の維持、おみやげ用の地場産業など、観光に関わるあらゆる産業が飛躍的に発展したのでした。
  まさに観光は総合産業でしたから、その整備拡張のために彼等は国営の学校を開設して徹底的に人材を育成し、設備を充実させました。人に優しい心使いや応対だけでなく、自然の美しさを決して壊すことなく細心の注意を払いました。
  一般家屋の建築にも、その高さや窓の位置、屋根や壁の色にも全体のバランスを考えての細かい法規制をしたことは言うまでもありません。
  険しい山道や峠の難工事にはかなりの苦労があったそうですが、全国に網の目のように張り巡らされた鉄道路線と道路や水路は、それに伴う機能的な輸送の便利さと共に高く評価されています。なおこの交通機関をフルに活用した親切丁寧で効率的な託送便は特筆すべきでしょう。
  また山岳地帯のあちこちでは欧州各国の反対にもめげずに自動車の乗り入れを規制し、カートレインによる車の移動を義務づけています。
  日本のような缶ジュースなどの自動販売機は空き缶による公害を防ぐために殆ど設置していないなど自然を守るための努力はあらゆる場をとおして徹底して行われていることには驚かされます。
  こうして雪と氷に閉ざされた4000m級の山岳地帯と四方を外国に囲まれたヨーロッパの内陸に位置するこの貧しい国は、自国の持っている自然条件と知恵を駆使して、ここ10年余りずっと国民ひとり当たりの所得が世界一という富める国へと変容したのです。
  しかし現在、すでに彼等は観光産業のゆきづまりをいち早く察知して、21世紀でのサバイバルへの挑戦を始めているのです。激動する世界の流れの中にあって常に冷静で適確な判断を下すスイスの人々がどんな英知を披露してくれるか楽しみに見届けたいものです。
・・・次回へ続く・・

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